日本人を縛る「バチが当たる」という迷信

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もう既に遠い昔のように思われるかもしれませんが、
数日前、東京駅がすごいことになっていました。

きっかけは、東京駅開業100周年のSuicaの発売。
このプレミアSuicaの発売に際して、万単位の人が押し寄せ、駅は大混乱に陥った、というあれです。
楽しみにしていたSuicaが買えなかった人は駅員に詰め寄り、周囲には怒号が響き渡ったそうです。

このニュース、ツイッターでも話題になっていました。
そこで、こんなツイートをする人がいましたね。
「こんなSuicaが買えなかったぐらいで憤るような日本人なのに、なんで東北地方の人たちは自分たちのふるさとの惨状に怒らないのか?」という。

うーん・・・
この論理は、ちょっと飛躍しているような気もしますがねー。
だいたい、東京駅で怒鳴り散らしてたのは、ヤフオクで転売を目論んでいる、人格がさもしい輩がほとんどだったんじゃないか?とも思えますし。
ただ、この論理は飛躍していたとしても、ひとつ思うのは、
日本人は、ホント雰囲気に弱いなーというのはあります。

これは数年前ですが、「KY」という言葉が流行しましたよね。
KY=空気がよめない、という。
このKYという単語は明らかに、その場の雰囲気を察知しない鈍感な人を侮蔑する言葉でしたよね。ことほどさように日本人は「察すること」「空気を読むこと」を重視する。
だから、「この場では無礼な行動をしてもいいんだ」となるととたんに大暴れし、「この場では慎まなければ」という雰囲気だとシューンとなってしまう。
過剰に空気を読み、その雰囲気に則した行動を無意識のうちにとってしまう。
これは日本人の特徴なのかもしれないですねー。

ここで日本人を縛っている概念として、こういう言葉があります。
「バチが当たる」という。
この「バチが当たる」という言葉、とても不思議な言葉で、「だれがバチを当てるのか」という主語がない。
「神様」なのか「仏様」なのか、とりあえずそのあたりなんだろうけど、具体的に誰がどのようなバチを当てるのかは漠然としている。
にも関わらず、「そんなことしているとバチが当たるよ!」といわれると、日本人の心にグサっと刺さる。思わず腰が引けてしまう。
某新興宗教の信者なら「神罰がくだる」と言われるとひえ~となってしまうし、そこまで信仰心がなくても、「バチが当たる」という言葉は日本人の心を強く縛っているように感じられるのです。

このように「バチが当たる」には主語がありません。
これは、日本人の多くが具体的な宗教を持たず、にも関わらず「神様的なもの」は強固に信じているのと呼応しているように思います。
だって、日本人、神も仏も大して信じてないのに初詣だけは熱心に行くじゃないですか。あの初詣で、自分は一体誰に対して拝んでいるのか、自覚的な人がどれほどいるか?ということですよ。
なんだかよくわからないけど、神様仏様的なものを年に1度ぐらい拝んでおけば、大過なく日常を過ごせる。そう考えている人はとても多いと思います。
逆に「バチあたり」なことをすると、不幸が訪れる。よくわからないけど誰かが神罰を下す。なんとなくそんな「空気」が日本人の上を覆っているのです。

こうした日本人の特性が、政治的にはどう反映されるかというと、
雰囲気を重視し、集団の「倫理」ともいえない「なんとなくの情勢」を鑑みて、極端な行動を避ける、基本保守傾向になりますよね。
おそらく本気でこう考えている人は意外に多いかもしれません。
「誰それが推している候補に投票しないとバチが当たる」
「偉い人には逆らえない。逆らうとバチが当たる」
もしかしたら、東北地方の人たちも、こうした「漠然とした、でも強固な倫理観」に今現在も心を縛られているのではないか、と予想するのです。

でも、こうした考えは、為政者にとってはとってもありがたいですよね。
「お上には逆らえない」という空気さえ醸成することが出来れば、あとは何をやっても逆らう人が出てこない。なにせ、「自分に逆らうとバチが当たるよ!」と言いさえすればいいのだから。それだけで相手は萎縮してしまうのだから。

逆に、こうした空気は、ちょっとしたきっかけで一変することがあります。
政治的に言えば、自民党が野に下った時のこと。
みんなは、こう言っていました。
「お灸をすえてやる」と。
お灸をすえてやる、というのは、語義から言えば、「相手の為を思って敢えて痛い目に合わせて、奮起を期待する」ということです。そして、「お灸をすえる」と考える人が増えて、「今回は自民党負けてもいいんじゃない?」という空気が作られて、その通り自民党は負けました。
だから、自民党が大敗した時であっても、「お灸をすえた」人は自民党から心が離れたわけではなかったのですね。「今回はお灸をすえるけど、苦難から再起したらまた支持するからね」ということだったのです。
このように、基本的に日本人は中道右派から離れたことは一度もないのです。なぜなら、「中道右派=お上=逆らうとバチが当たる」という概念に縛られているから。

Suicaで怒り狂う日本人、でもお上には逆らえない。
だから、そうした日本人の気性を変えるのであれば、「バチが当たる」という概念を変えていくしかない。「自分の心に正直に生きていればバチが当たるなんてことはない」「そもそも誰がバチを当てるの?」という言葉を投げかけて、日本人の心を縛っている「倫理観とも呼べない空気のような倫理」から解き放ってあげるしかないんじゃないでしょうか。

自分は最底辺の人間。社会的にはドロップアウトした存在です。
だからこそ、見ててくるものがある。
日本人の心はいま、強固に縛られている。
そして、日本人たちもその縛られれいる状態に満足しているんですよね。
一部の日本人がそうした状況に異議を唱えても、「バチあたりめ・・・」という目で見ている。
自分の目にはそう映るのです。
このままだったら、多分、日本が沈没する時もレミングスのように一緒に沈んでいくことになるでしょうね。そのほうが楽だから。
それに対していいも悪いも、特に自分は思いません。
ですが、その状況を変えたいんだったら、まずは「バチが当たる」という言葉を死語に追い詰めないとダメでしょうねー。

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管理人プロフィール

年収200万円。でもステキな生活を楽しもうと考えている紳士。音楽と甘味がこの上なく好きです。

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